トップインタビュー
株式会社ザッパラス【前編】 代表取締役社長 平井 陽一朗 氏
「モバイルにおける占いサイト」を中心とする事業で、6期連続増収増益の東証一部上場企業「株式会社ザッパラス」。今回のトップインタビューは、平成22年7月29日、そのザッパラスの代表取締役社長兼CEOにご就任されました平井陽一朗氏にお願いいたしました。
株式会社ザッパラス
代表取締役社長 平井 陽一朗 氏
平成10年3月 東京大学経済学部卒業
平成10年4月 三菱商事株式会社
平成12年5月 株式会社ボストンコンサルティンググループ
平成17年4月 ウォルトディズニージャパン株式会社
平成18年12月 オリコン株式会社 副社長執行役員
平成19年6月 同社取締役副社長兼COO
平成22年4月 株式会社ザッパラス 社長代行執行役員
平成22年7月 同社代表取締役社長兼CEO
インターウォーズ株式会社
インタビュアー 抜田 誠司
食品メーカーを経て、黎明期の外食FC本部に参画。研修・業態開発・営業企画等の責任者を歴任。その後、小売業等の新業態開発・外食業態のリブランディング・物流/購買改善等のプロジェクトに携わり、2007年から現職。
抜田 誠司(以下、抜田):平井社長ご就任おめでとうございます。
平井 陽一朗 氏(以下、平井):ありがとうございます。
抜田:今回社長にご就任されるまでの経緯をお聞かせいただきたいと思いますが、まず、平井社長のキャリアにおけるテーマを教えていただけますか。
平井:『世界標準となるような新しいエンターテインメントを日本発で創っていきたい』というのが私のテーマです。今まで一貫して、このテーマを持って、キャリアを積んできました。
抜田:「世界標準となるような日本発の新しい」エンターテインメントですか?
平井:はい。私は高校卒業までの大半をアメリカで過ごしましたが、表現があっているかわかりませんが、日本は文化的には大変な貿易赤字だと感じたことが原点でした。
日本人はアメリカの歴史上の人物の名前や今の大統領を知っているけど、アメリカの方々は日本の歴史上の人物や今の総理大臣を知らない。今は若干変わってきているかもしれませんが、例えば「アニメ」にしても音楽にしてもうまく伝えられていないなと。それをうまく伝えていくことをライフワークにしていきたいと思ったのが高校生位の時でした。海外の方々に「日本のいいところをもっともっと知ってもらいたい」と思っています。
抜田:具体的なキャリアを教えてください。
平井:キャリアとしては、大学卒業後、三菱商事~ボストン・コンサルティング・グループ(以下BCG)~ウォルト・ディズニー・ジャパン(以下ディズニー)~オリコン~ザッパラスです。多岐に亘っているように見えるかもしれませんが、実は根底にある思いはずっと同じで、「エンターテインメントを創っていきたい!」ということだけなんです。
抜田:なるほど。
平井:まず、三菱商事はとても素晴らしい会社で、「グローバルなビジネスでのダイナミズム」やビジネスパーソンとしての第一歩、基本部分を学ばせていただいたと思っています。入社する前は、当時「ディレクTV」等を手がけていた情報産業グループに配属されて、希望通りエンターテインメント事業に関わることができると、勝手に(笑)思っていたのですが、実際の配属は第二希望の「機械」グループでした。当時は配属リスクを全く考えていなかったんですね(笑)。
抜田:そうだったんですか。
平井:最初の担当は南米のペルー・コロンビア・ボリビアというかなりマニアックな地域だったのですが、半年後に現地に出張に行ったら、それは素晴らしいところでした。その中でアンデス同盟の中心国のコロンビアにどうしても楔を打ちたくて、コロンビア初のトラックのメンテナンスリース会社を立ち上げたのが、私の最初の仕事です。
抜田:そんな充実した仕事をしていて、BCGへ?
平井:はい。たまたま、一度日本に帰ってきたときに、大学の同級生とお互いの近況報告をし合っていたら、もともと賢かった彼が、さらに賢くなっていて、少し詳しく聞くとBCGでレコード会社のプロジェクトに関わっていると。『BCGでエンターテインメント系の仕事もあるんだ』と思ったところ、彼から、「一回話聞きに来れば」と言われてオフィスに行ったんですが、実はそれが面接で、その翌日も何人かの方と立て続けに面接がセッティングされていた、というわけです。
でも、三菱商事の仕事も面白かったし、コンサルティングというのもよくわかっていなかったので、一度お断りしたんです。
抜田:それでも、入社することになったのですね?
平井:はい。先方から、「貴方が断らない方がいい理由が3つあります」と理路整然と言われて(笑)。ここまでロジカルに物ごとを考えられるようになるのだったら、これは学ぶ価値があるなと。何よりも、エンターテイメントの仕事もあるかもしれないと思って、三菱商事の上司に話をしたら、「いい機会かもよ。もし、合わなかったらまた帰ってくればいい」と言っていただいて、BCGにお世話になることにしました。
抜田:いかがでしたか。
平井:そうしたら、結構ハマりました。でも、最初はとても苦労しました。PCスキルでいえば、エクセルもまだまだ、パワーポイントなんて開いたこともないという状況でしたので・・・(笑)。おかげで今はアクセスも使いこなせるようになりました。まあ、それは当たり前として、スキルセットだけでなく、本当に様々な面で大変勉強になりましたね。
銀行他、いろんな業態を担当しましたが、コンスタントにずっと関わったのがNTT ドコモさんの「i-mode」のお仕事で、これをきっかけにコンテンツやモバイルの世界に関わることができたんです。
抜田:そこが、モバイルとの接点ですね。
平井:はい。そうこうしてドコモさんと接点が深まっていく中で、BCGのプロジェクトとは直接関係なかったのですが、「i-mode」の海外展開が架橋を迎えているのを横目に見ていました。その時に、「これは僕のライフワークだから、是非やらせて欲しい。」とドコモさんとBCGに直訴して、BCGを1年間休職扱いにしていただいて、ドコモさんに転籍させていただきました。
抜田:そうだったんですか。
平井:転籍後は、グローバルブランディングという名のもとに、一年間アムステルダムに赴任をして「i-mode」の海外展開やアライアンス、F1のスポンサーシップ等を担当させて頂きました。大変なプレッシャーでしたが、本当にやりがいがありました。
そして、1年後、BCGに帰って、引き続きドコモさんのプロジェクトにかかわっている中で、当事者であった直後にコンサルタントに戻ったことで多少違和感を覚えていたのでしょうね、そんな時にちょうど当時ディズニーに行っていた元BCGの同僚から声がかかりました。ずっと「エンターテインメントをやるんだ」って言い続けていると、覚えていてくれる人がいて、不思議と縁があるものですね(笑)。当然、BCGも私のエンターテインメントへの情熱はずっと発信し続けていたので、快く送り出してくれました。
抜田:信念・思いを発信し続けるって大事ですね。
平井:そうですね。見る人は見ててくれるものですよね。
BCGは最もハードワークな5年間でしたし、コンサルタントのスキルセットや厳しさも学べましたので、本当にためになりました。
また、ディズニーではエンターテインメントの契約交渉やコンテンツビジネスの考え方等、本当に様々なものが体系化されていて、多くを学ぶことができました。ただ、どうしても外資という部分もあるのか、自分が今ひとつ完全燃焼できていないような気がしていた時に、オリコンの社長の小池恒さんと一緒にご飯を食べる機会をいただいて、そこからオリコンさんにお世話になることになったんです。
抜田:そうでしたか。
平井:小池社長と色々とお話をさせていただきながら、私としては何か「小池社長の力になりたい」と思いました。また、それまで経営というものは経験したことが無かったので、「『経営×エンターテインメント』という世界で自分を体現できるかもしれない」と思い、大きなチャンスだと感じました。
抜田:そんな経緯だったのですね。
平井:オリコンでの毎日はとても充実していました。業績回復も含めて、何とかちゃんと結果を形として残すことができました。 初めて自分に実績ができたような感覚です。でも、それ以上に何よりもここで初めて、仲間(社員)と一緒にやっていくことの大切さや責任感、一人の力ではなく全員の力でモノ・サービスを創っていく快感・達成感を学ぶことが出来ました。また、経営者の一人として、会社を背負っていくことの重みや怖さ・醍醐味も感じることができました。とても良い機会と仲間に恵まれ、本当に感謝しています。
抜田:そんな中、ザッパラスさんに移られるわけですが・・・
平井:オリコンではとても充実していた一方で、そもそもの原点である「世界標準となる日本発の新しいエンタテイメントを創る」ということをどうやろう?という自問自答を繰り返していました。ちょうど会社の業績も無事に回復して色々なことが一段落し、自分も35歳という一つの転機を迎えて、独立など色々と考えていて・・・。そんな時、僕のビジョンの全てを体現できるポテンシャルがあり、そして自分が本当に必要とされていると感じた会社と偶然めぐり合って、それが前々から接点のあったザッパラスだったのです。
抜田:なるほど。
平井:会社と自分が完全に同化できる、「心・技・体」がここまで会社と一緒になって、「ザッパラス=僕自身」だと言い切れる位、一体化した状態で今やっています。
このザッパラスを社員という仲間たちと大きなエンターテインメント企業に変えていけたら、そして、自分が本当にやりたいことを全てやって、信じる道を仲間たちと突き進んでいければ、たとえ何があっても、悔いは残らないと思います。そんな思いで今年の4月からザッパラスに来てしゃにむに頑張っています。
抜田:そうでしたか。
平井:色々とありましたが、僕のキャリアで「世界標準となる日本発の新しいエンターテインメントを創っていきたい」という思いは一貫しています。
このザッパラスという会社はこれまでモバイルコンテンツ市場の拡大と共に上手に「占い」×「モバイル」という軸で増収増益路線を歩んできたものの、代替可能である会社の全てがそうであるように、まだまだ世の中にとって唯一無二の自立した会社にはなっていないんです。市場が踊り場を迎え、また今後ザッパラスが唯一無二の存在として生き残っていくためにも僕の「新しいエンターテインメントを創っていく」という強烈な思いがフィットする会社だったのだと思います。
抜田:平井社長は、「外部支援型ビジネス」と「実業会社」の両面ご経験をされていらっしゃいますが、ご自身の中でのフィット感はそれぞれいかがでしたでしょうか。
平井:やっぱり、BCGの時は歯がゆさがありました。自分では決められない。決めることをサポートする為に、そこまでやらなくてもいいだろうという分析を突き詰めてすることもありましたので。ただ、実はBCGも実業会社といえば実業会社で、BCGでパートナーになって、BCGのジャパンをどう経営していくか、とか経営コンサルティングがどうあるべきか、世の中にどう付加価値を出していくかといった大局観と実業観を持っている方も当然いらっしゃって、そういう意味では、そこに「外部支援型ビジネス」とか「実業」という区分けをする必要はないのかなと思います。今だからBCGのスゴイ所が逆に分かる気がします。
抜田:なぜ、「経営」を志向されるようになったのですか?
平井:僕は役職とか職種というのは全て役割分担だと思っています。だから「社長が偉いわけじゃない。社長という役割を担っているだけだ」と、よくメンバーには話をしています。その中で、これが自分の役割だと思えることを担っている時が、最もパフォーマンスを発揮できると思っています。最高にパフォームするための適材適所というのが、あるべき姿だとした時に、自分の役割がたまたま「経営」ということなのだろうと思っています。
抜田:なぜ自分が向いていると思われるのですか。
平井:バカだから(笑)、というのもありますが、強いて言うとやりたい事が明確にあって、それを論理とハートをもって発信し続け、信じ抜くことができるからかもしれません。特に日本人に多いのかもしれませんが、奥ゆかしく、主張とか意志を表に出す方が少ないように思います。皆さん本当は頭もいいし、色々なことを考えている。でも、一人でやるのであればまだしも、そこに人を巻き込んで、人の人生・家族を巻き込んで、それを全部引き受けて、やっていく気概と、言い続けて信じ抜いていく強い気持ちは、そうそう持っているものではないのかもしれません。
抜田:なぜ身についたのでしょうか。
平井:それもやはりバカだからかもしれませんが(笑)、アメリカでずっと受けてきた教育も含めて今まで学んできた部分もあるのだと思います。ただ、リーダーシップという視点はあったものの、今考えると、BCGにいた頃は、正直会社の経営という視点はそんなになかったように思います。オリコンに行ってはじめて経営の視点が多少身についたのだと思っています。「重さ」ということも実感しましたし、ある種「バカになりきる」ということが必要と感じたこともありました。ただ、根本的には先ほど話したような、一種先天的な役割分担みたいなのもあるのかもしれませんね。
抜田:それは立場によって作り上げられたものなのでしょうか。
平井:そうかもしれません。また、そうせざるを得ませんでした。当然、小池社長は創業家社長ですから、背負うも何も、逃げ場所が無いわけで、そんな中で小池社長が背負っているものを、少しでも自分が背負って、楽になってもらいたいみたいなところが気持ちとしてありました。背負っているうちに、自分も経営者として、若干自覚も出てきて、少しずつ形になっていったように感じています。とはいっても、まだまだ自分は経営者としてはヨチヨチ歩きです。でも、オリコンでの経験が無ければ、今の自分は無かったと強く思います。
抜田:いいお話ですね。ところで、ザッパラス社参画の一番の決め手は何ですか。
平井:なんというか、この上ない「フィット感」を感じました。
抜田:なぜそう感じたのですか?
平井:本来のザッパラスの根っこにあるルーツというか哲学というか、それが僕の哲学とかビジョンとかやりたいことと合っていると感じたからです。
抜田:具体的には何ですか?
平井:ザッパラスはもともと自立した人間が、共通の目的を実現させるために集まった集団だったのだと思います。ベンチャースピリッツ旺盛な、何か世の中で成し遂げたいという人間の集団でした。僕も、創業者の川嶋も共通点が多くて、何よりも共通しているのは「器用貧乏」で、全部自分でやろうと思えばできないことは無いのですが、当然一人だけの仕事ではアウトプットはしれてますよね。でも、いろんな人の力を結集すると、出来上がるものって、俄然大きくなるのです。ザッパラスの創業時はそういう哲学のもと、「一人よりも皆で作り上げていった方が面白いじゃん!」という発想で、多くのベンチャーがそうであるように、皆が自発的に寄り合って始まっている部分が大きかったと思います。その考え方・哲学に、自分の波動が合ったというのが一番です。