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株式会社ツバメックス 取締役社長 賀井 治久 氏
独自の技術力とシステム開発で、金型業界において先進的でユニークなポジションを確立してきた株式会社ツバメックス。
経営者として長年にわたり同社の舵取りをしてこられた賀井社長に、これまでの歩みと今後の展望を伺いました。
株式会社ツバメックス
取締役社長 賀井 治久 氏
1960年 東京大学工学部鉱山科卒業後、北海道炭礦汽船株式会社。夕張炭礦にて勤務。
1963年 株式会社ツバメックスの前身である藤田金属株式会社より分離独立した。
1983年 常務取締役就任。
1988年 代表取締役社長就任。
インターウォーズ株式会社
一人ひとりが人生のCEOとして生きる社会を実現する
人と企業のインキュベーター
インターウォーズ(以下、IW):東京のご出身と伺いましたが、ご入社の経緯からお聞きしてもよろしいでしょうか。
賀井 治久 氏(以下、冨加見):両国の生まれで大学まで東京で暮らしました。鉱山科を卒業したものですから、はじめは北炭に行って、夕張で勤務していました。3年ばかりいたんですけど、その間に結婚したんです。ウチの女房が当社の前社長と面識があり、ぜひダンナを連れてこいなんて話に乗っかって入社したんです。それで昭和38年に入ったんですよ。課長、部長、常務ときまして、常務の時に、前の社長が突然亡くなったんですね。それで社長を引き継ぎました。
IW:昭和42年辺りに会社が大きく変わる転機があったと伺いましたが。
賀井:ええ。自動車業界の仕事が入ってきて、それを契機に他社に先駆けて機械化を進めたんです。その頃の日本の金型の作り方はまだ職人中心で機械は二の次。金型業界の中では後発だった当社は先人である他の金型屋さんがやっている方法をマネていっても追いつくはずがありません。それで、その頃の先端のNCの機械を使いこなしてみようと考えました。ただし、実際は悪戦苦闘の日々でした。
その頃はまさに職人集団の会社ですから、いい金型ができるかどうかは、すべて職人の気分によって決まるんです。私はそれが嫌だったんです。それを変えるには機械加工に取り組むしかない。そして、どうせやるからには日本一を目指したいと。そういう気持ちがだんだん芽生えていったんですね。
IW:どのようなご苦労があったのですか?
賀井:初めのうちは、私がちょっとカタカナの言葉を使うだけで、現場からは「なんだ、知ったかぶりしやがって」とそっぽを向かれるような状態です。高いお金を出して導入した機械が上手く動かない時もありました。「それ見たことか」と非難囂々で、まさに孤軍奮闘でした。ただNC機械の導入は結果的に成功しました。従来は3〜4人の職人で1ヶ月掛かっていた仕事が、機械なら3日でできる。しかも精度が高い。この圧倒的なスピードの差が大きな利益を生みました。
IW:成功のポイントは何だったのでしょうか。
賀井:ソフト開発です。機械はそれだけでは動きません。動かすためにはソフトが必要です。同業他社と当社との違いは、ソフトの差でした。当社では、それ以降もソフト開発には力を入れていきました。その大きな成果が、82年の日本初の3次元CAD/CAMシステムの開発です。当時の社員の中からソフト開発の希望者を募ったところ、5名の手があがったのですが、実際にやらせてみるとすぐに5名とも逃げ出してしまうありさまで、なかなか思うようには進みませんでした。
そこで考えたのが、大卒の新卒採用でした。
当時、金型会社が大卒を採用するなんてあり得ないことでしたが、私が先頭に立って採用活動にあたり、毎年数名の理系の学生を採用できるようになりました。新潟大学をはじめとした優秀な学生が採用できたことは、後々非常に大きかったです。
IW:新卒で採用した大卒者を中心にソフト開発に取り組まれたのですか?
賀井:ええ。最初に採用したのは82年でした。ただ、如何せん彼らは金型のことをまったく知らない。それで結局私が先頭に立ってやるしかない、ということで、昼間は通常の業務をこなしつつ、18時から夜中の2時頃までソフト開発の勉強に取り組む。そんな日々を半年くらい続けました。業界で初めてCATIAと呼ばれるフランス製のシステムを導入したのは、82年の12月のこと。通常導入後にNCデータを出せるようになるまで半年や1年は掛かるものですが、それでは私は遅いと思っていました。中小企業ではそんな悠長なことはしていられません。その時も1ヶ月半での稼働に成功し、業界の内外で大きな話題となりました。
IW:どのような話題になったのですか?
賀井:全国から見学依頼が殺到しました。それが83年です。最初はIBMが宣伝したんですけどね。IBM経由で購入したものですから。年間で400社が来ました。ツバメックスの知名度を全国に広げることにつながりましたね。
IW:仕事も増えたのですか?
賀井:ずいぶん右肩上がりでいったのは間違いないですね。非常におもしろかったのは、機械でやりだしてから、品質への信頼が一気に高まったことです。例えば、自動車メーカーの仕事では、先方からの指示で、最後の仕上げは人間の手でやっていました。けれど、私はウチの機械の方がいい仕事をするという自信があったので、あまり手をつけない方がいいと言ったんですね。けれど、先方は「人間の手で全部ピカピカに磨かないとダメだ」というもんですから、数年は人との手でやっていました。すると、ある日突然に、「やっぱり機械のままでいい」と言い出したんです。それくらいだいぶんと進んだ技術だったんです。
IW:業界の中でも有名になったんですね?
賀井:ええ、有名にはなりました。どこに行っても、ああツバメックスか、CATIAだねって。同業者や自動車メーカーもほとんど知られるようになりました。
IW:次に取り組まれたのは?
賀井:はい、次に労働集約的なものはやはり設計なんですね。機械は機械化して、無人化ができるようになってきた。仕上げ作業も機械加工が職人の精度を上回るようになってきた。一方、設計は一人前になるのに10年ぐらいかかるんですね。それと、人の適性がかなりあるんですよ。それで、設計そのもののIT化ができないかと。それで3D設計に取り組みました。今は当たり前になってきましたけども、一番のもとはCATIAにあるんですよね。それをそのまま使うと、今まで二次元で書いた図面の5倍ぐらいの時間がかかるんですよ。だから色んなプログラムを作りまして、設計支援的なものをどんどん出さなきゃいけないんです。それを考えて、1996年から開発に入ったんです。結果的に99年には3Dの設計が全員書けるようになりました。プレス金型の自動車の設計を全員が3Dで書いているところは今でも少ないです。
IW:なぜそこまでシステム化にこだわったのですか?
賀井:生産性を10倍にしたい、それをずっと思ってきました。まだ10倍にはなってないですけど。だから設計にかかる時間を10分の1にしようと。そういう発想のもとの中で、一番もとになるのが設計だと。設計がしっかりできれば、例えばNCデータも半自動的に出るようにしていこうという発想で。今まで延々とやってきたんですね。開発人員が7~8人いまして。全然現場の仕事をしないで、そちらの方に投入したんですよ。
IW:それまでは現場の仕事をされながら、設計もしていたんですね。
賀井:一番いいのは、現場のことをよく知っていて、設計することなんですが、設計そのものをうまく支援して、図面がすごくラクに書けるようなそういうものをしていこうと。
IW:そこまでやってようやくできたのが、TADD〜TSUBAMEX Auto Die Designsystem〜システムなんですね。
賀井:そうです。全部自分たちでシステムを作りあげました。実は、最初はよそに頼んだんですよ。ただ、よそに頼むと、よそで作ったある人が辞めるとですね、全くフォローできないんですね。考え方も、伝達するのが大変で。相手は金型のことを知らないから。だからそれを理解するのに大変だと。だからできたものをみると、なんだこれっていうのがかなりあるんですね。それならば、我々よく知っている者が自分で作っていこうじゃないかと。たった100人ぐらいの金型部門のそのうちの7~8人のチームを作って、開発に入ったんです。その頃には優秀な大卒を採れるだけの採用ノウハウと実績もできていたので、それが追い風にもなりました。
IW:ここまで長い年月をかけて積み重ねてこられた技術なんですね。
賀井:はい。82年からずっとやっていますからね。20年以上かけて、システムができあがってきたんです。これを捨てる気はないんですね。すごくもったいない、捨てるのは。
IW:そのシステム自体がツバメックスさんのコアとなっているわけですね。
賀井:そう。ウチは金型業界では異質の会社なんですよ。私がよく言ってきたのは、金型業界というのは、インテリジェンシーがないと。全て汗と力で物を作ると。そういう考え方が昔の経営者は多かったですね。それをシステム的に作りあげていって、より早く安く、確実にできる方法はないかということを、延々と今、何十年もかけてやったわけです。それが最初のNC機械を入れるところからだと、もう30年以上も取り組んできたわけです。
IW:ずっと同じコンセプトで経営をされてきたと。
賀井:そうです。色んな設備とか機能とか、そういうものをうまく使ってやればおもしろいんです。そのことに夢中になってやってきました。ひとつの例をあげると、NCの機械を入れた時に、今まで型合わせはベテランで2週間、新人で1ヶ月ぐらいかかるやつを、NCの機械でやったら4時間で仕上がった。周りはみんなびっくりです。あれは儲かりました。しかも、ベテランと同等以上の精度が上がるんで、品質が安定するわけですね。
そうしたら、次は焼きを入れたら精度が落ちるという問題が出てきた。そしたらそこで「やっぱりダメじゃないか」って周りは言うんだけど、じゃあ焼きを入れたやつを削ろうじゃないかと。そこで、新しい設備をかってきて現場で一緒になってやったら、赤い火花がワーと出てきて、「やっぱりダメだ、ほら見たことか」みたいな顔をされて。じゃあエアをかければいいじゃないかっていうことで、エアをかけたら、その赤い切れ粉が出なくなったとかね。あきらめずにやる、その積み重ねの上でしか技術は進歩しないんです。
IW:そのものづくりの過程の中で起こしてきたイノベーションの連続。そこが今、大きな差になっているということですかね。
賀井:それが利益を生んできたんです。バブルの頃はすごい儲かった時代がありました。当時、うちには売上げと同じくらいのすごい額の借金があったんですが、今は無借金になりましたから。
IW:今後のマーケットはどうなっていきそうですか。
賀井:今は商品の寿命がどんどん短くなっています。また、価格競争は一層厳しくなっているので、経営の舵取りは難しくなっています。昔はある会社とお付き合いが始まると、きちんと仕事をしていればだんだんと大きくなっていったものですが、今は瞬間的にきて、瞬間的になくなりますね。特に巨大企業はそういう傾向が強いですね。海外の工場なら必要な数の人を雇って仕事が減ったら、すぐ解雇するということができますが、日本ではそんなことできません。また、じっくりと技術開発に取り組むということが難しくなっています。もうまさにコスト競争時代。安いものほど価値があると。それになんとか抵抗したいんです。
IW:どうやって抵抗するんですか?
賀井:それがスピードです。通常半年〜3ヶ月かかるものを1ヶ月でできるという、そのスピードにその価値を付けられるようにしたい。JRを見て御覧なさいと。特急の方が高いでしょと。時間は半分ですけど、高いんですよって。それを認めてくれるところと仕事をしていきたいですね。
IW:なるほど。ツバメックスさんの強さは、技術革新を重ねてこられたことによって築いてきたスピードと品質にあるんですね。
賀井:製造屋っていうのは、一朝一夕にはできないんですよね。かなり長い歴史を持って、で、初めてあるものが出来上がってくるんです。だから、中国の企業の一番弱いところは、企業に歴史がなく、歴史をつくろうとも思わないところなんです。いま儲かるものは何かって、そればかり一所懸命探してますよね。以前、香港に行ったときに、金型工場を作らないか?って、話がありまして、事業所をつくったんですね。そこの中国人の所長が、儲かるのはいつか?って聞くから、金型は5年後ですよ、利益がでるのは、って、そう言った瞬間に、「5年後はダメ」ってなって、その話は終わり。
だから、ものづくりってのは、いかに最初が大変かってことがわからないです。で、資本を投下して、1年以内にもとをとれなければ意味がないと。彼らはそういう考え方なんです。
IW:それが、御社でいうと、ご創業から50年になるんですもんね。50年になられて、NC機械を入れられてからでも、もう30年近くなりますね。
賀井:さっきも同業大手の開発部長が来られてましてね。CATIAをこれだけ使ってる会社は他に知らないというんです。それに、これだけのシステムをやるお金は、ウチと云えどもないって。あそこは規模が大きいから、それだけ導入コストが掛かるってことなんだろうけど。本当はやりたいんですけどねえ、とか言ってましたよ。
けれど、このままだとほんとに、いい技術が死んでいくと思います。うち以外のとこも含めてですね。技術を売ってくれっていう中国からのオファーは、今でもいっぱいあるんです。でも私は彼らに売るつもりはまったくありません。
それは彼らには技術を育てていって、もっといいものをつくろうっていう発想がないからです。いまあるもののいいところだけをとって、儲けのシステムをつくろうという方に必ずいきますよ。
IW:やはり企業というのはゴーイングコンサーンが大切ですね。継続していくことに価値があって、そこに世の中の役に立つものが生まれていく。ただの利益追求機関になっちゃうとダメだと。
賀井:それと、私の経験だと、すごく儲かるということは、後でちゃんと痛い目にあいます。突然にすごく儲かるというのは、必ず反動があるんですよ。
IW:いろいろと伺ってきたんですが、これからを担っていく人材に受け継いでいきたいものは何でしょうか?
賀井:私としては、今やっていることを引き続き発展させていきたいという思いがあります。そのために、どうやって受注を確保していくか。これが最大の問題ですね。ただ、お客さんは日本だけじゃなく、世界中にたくさんありますよ。ヨーロッパ、アメリカといった先進国に加えて、今後東南アジアも出てきます。まぁ確かに難しい問題もありますが、ウチの取り組んできた短納期化を実現できるノウハウはお客さんを説得できる材料にはなると思うんです。世界のどこへいっても負けないだけの技術は積み上げてきましたから。その技術をさらに発展させていってもらいたいと願いっています。
IW:本日はお忙しい中、ありがとうございました。
淡々とした口調で語られる賀井社長のイメージとは裏腹に、ツバメックス社の歴史はまさに戦いの日々でした。高い志と情熱を内に秘め、まっすぐに己の信念の道を歩んでこられた賀井社長の姿に、お話を伺いながら胸が熱くなりました。74歳になられた現在も賀井社長の情熱は些かも衰えることなく、ますます盛んです。
賀井社長、お忙しい中、長時間大変丁寧にお答えいただきありがとうございました。今後もどうぞよろしくお願い致します。